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ゆとり教育に賛成します 数年前の同窓会で久しぶりに懐かしい友人と再会しました。 同窓生A 『俺、勉強怠けたからこんな人生になっちまった。』 同窓生B 『もっと真剣に勉強しておけばよかった。勉強しなかったから、こんな人生になっちまった。』 苦笑いが目に浮かんできて、ほほえましくさえあります。 しかし、本当はもっと悲惨な人がいるのです。
格差社会今の世の中は、金持ちと貧乏人との二極化が進んでいると言われています。また、学力、大学の世界でも二極化が進んでいると言われています。 誰もが聞いたことがあるでしょう。 しかし、その二極化した学歴の中身では三極化していると言われています。 三極とはどのようなものでしょうか?
1つ目は、普通の人たちです。 悪い言い方をすれば、圧倒的比率を占める『何のとりえもない高学歴者』たちです。『努力努力で大学に合格した勉強以外に何のとりえもない人たち』です。
2つ目は、何かの条件を持った高学歴者です。 これは親が金持ちだったり、経済的に恵まれたりしていて受験テクニックを金で買い、卒業後の人生でも、金と親の力で比較的不自由なく生きていける人たちを指します。
そして、3つ目が、勉強以外の何かを持っている高学歴者です。 この人たちは、勉強や経済的余裕以外のものを持っている人たちです。 最近のゴタゴタで完全に悪い代表となってしまいましたが、ライブドアのホリエモン、村上ファンドの村上世彰、楽天の三木谷社長と言った、カリスマ性、情熱、奇抜なアイディア等といった『個性と才能』を持った人たちを指します。 このような人たちの比率は、高学歴者全体の2%しかいないと言われています(私はもう少しいると思いますが)。
そう。 これを見て世の高学歴所有者たちは嘆きますが、これがまぎれもない現実なのです。
実は、今の学校教育や大学入試制度はこの2%の『勉強以外の何かを持っている学生』たちの比率を高めるシステムに変わろうとしているのです。
君たちのお父さんたちに聞けば教えてくれるでしょう。 かつては学歴が非常に意味を持ち、一流大学卒業というだけで評価された時代でした。学校の教育でもひたすら偏差値を上げるべく、社会に出たら一生使わないような知識をひたすら詰めこまれてきました。その結果、社会の一線に蔓延ったのは『何のとりえもない人たち』でした。 自分の部下に東大卒の若者が入って来た。 しかし、実際に使ってみると何のとりえもないただの馬鹿。役立たず。 仕方なしに誰でもできる仕事をやらせるしかない。 言われたことは卒なくこなすことができるけど、自分の頭で思考して行動しようという頭がなく、他人のアイディアを評価、批判することしかできない。何かをやってやろうという気持ちはあっても口先だけ。しかも、偏差値教育によってお勉強以外のことを何も学んでこなかったから、どうしようもない常識知らず。実力の伴わないプライドしか持っていない…。 こんなどうしようもない人間たちにうんざりさせられているのです。
また、使われる側のどうしようもない人間たちも腹を立てています。高学歴を手にしながら思うように仕事を任されずに腹を立てます。 本来の自分にあった仕事をやらされているだけなのに『何のとりえもない自分』を自覚できず、腹を立てるのです。 むかついて簡単に仕事を辞め、家に引きこもったりします。 転職なんてできるわけありません。 なぜなら『学歴がなければタダの馬鹿』ですから。
これまでの社会は、いや、教育は、これらの人たちに『無限の可能性』だのといった綺麗ごとを吹きこみ、一流大学へ行くことが素晴らしいことと刷りこみ、『何のとりえもないまま』高学歴を与えてきました。 しかし、できあがった現実は、前述したとおりです。 もちろん、高学歴所有者たちにも素晴らしい人材はいます。 しかし、高学歴を持ちながら、何のとりえもない役立たずの方が、圧倒的多数なのです。そして、こんなことは、何も高学歴所有者に限ったことではなく、学歴もない、普通の人たちでも同じです。 つまり、 人格的なこと、能力的なことと学歴との関係は、全くあてにならない のです。
…っつうか、常識でしょ?(笑) 社会に出れば分かりますよ。
…そう! 現代では、高学歴など意味をなさない時代になろうとしているのです。 そんな世の風潮に、新しい目標が見出せず、社会には閉塞感が漂っています。その閉塞感への反動で『東大へ行け』だの『一流大学へ行けば人生が開かれる』だの、かつての教訓から何ら学んでいない発想が復活してきています。 確かに、出身学校名で就職できる会社が決まってしまうのも事実です。 しかし、たとえ名のある会社に就職しても、その後の人生に保証などありません。『使えねぇ奴』と言われて部署を外された慶應卒の男が、婦女暴行で惨めな姿を世に曝したのは記憶に新しいでしょう。それに、自分が思い描いた職業に就くなんて宝くじ並みの確率で、圧倒的多数の人間は、不本意な仕事にしか就けないのです。 また、確かに、ニートやフリーター連中と比べれば恵まれた条件で生活できるでしょう。しかし、満員電車で『運搬』されることほど私は惨めなことはないと思っていますし、人生の最も輝く時期を無駄に潰してしまうほど価値のあることだとは、とても思えません。
はっきり言います。 東大だろうが、一流大学だろうが、そんなところを卒業しても明るい未来が来る保障など全くありません!『何のとりえもない人間』に未来はないのです。 これは負け惜しみでもひがみでもありません。
高学歴者は研究に向いてる? なら、その研究で成果を出せる人って、どれくらいいるの? 日本の一流大学のだらしなさは世界的に有名ですよね?
女の子にもてる? 正気か? もう少し社会勉強をしましょう。
こんなこと、大人なら誰でも知っています。 騙されるんじゃない!!
どんな馬鹿でも勉強をすれば大学へ行けます。 本気で何かをやろうと思ったら、前述の2%の人間になるしかありません。 転職市場が発達してないから? とんでもありません。 『何のとりえもない馬鹿』を中途採用する企業がどこにあるのでしょうか?
そうです! 実は、この2%の人間を入学させようというのが推薦入試を始めとする特別選抜入試、そして、最近流行っているAO入試のポリシーなのです。これは、この2%の人間を入学させたいという大学の、いや、社会の要請に他なりません。 お勉強からは決して学べない人間として大切なことが評価されるのです。
くどいようですが、こんなことは、大人たちは嫌というほど知っています。 学校の先生たちも知っています。 けど教えてくれません。 その理由の1つは、自分自身が『何のとりえもない人間』であること。 そして、もう1つは、この2%になる方法がわからないからです。
方法なんてありません。 けど、ビビル必要はありません。
自分が興味を持ったことへ全力でぶつかって行く努力(行動) と それを支える情熱
唯、それだけあれば大丈夫です。
情熱のおもむく先は、人それぞれ違います。 その方法を見つけるのはあなた自身であって、それを見つけさせるのがゆとり教育の本来の姿だったのです。
2016年
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